飼鶏要書

落合茂三郎氏による「飼鶏要書」について

「飼鶏要書」は、明治34年(1901年)に落合茂三郎氏が刊行した書物です。落合氏は、明治38年(1905年)に日本家禽協会に名古屋コーチンを一独立品種として公認することを申請した3人のうちの1人です。落合氏の養鶏場は東春日井郡陶村(当時)にあり、隣村の同郡池林村(当時)には「養鶏方案」をまとめた海部壮平氏の養鶏場がありました(名古屋コーチンを作出したのが、海部壮平・正秀兄弟)。なお、海部壮平氏は、明治28年(1895年)にお亡くなりになっています。 「飼鶏要書」の原文の複写は、「国立国会図書館デジタルコレクション(外部リンク)」ホームページで、ご覧いただくことができます。原文は明治時代の文体で書かれていますので、読みやすいように現代語訳(訳者は農業センター)を作成しました。なお、原文から読み取れなかった文字は赤丸で表してあります。参考にお読みください。

飼鶏要書(現代語訳)

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「飼鶏要書」と「養鶏方案」の比較

「飼鶏要書」の刊行は、明治23年に海部壮平氏が「養鶏方案」を刊行してから11年が経過しています。この間に、養鶏に関する知識・技術が着々と蓄積されていったことが伺えます。 それは、「養鶏方案」はA5版16ページに対して「飼鶏要書」は同版99ページ、また「養鶏方案」は7章で構成されているのに対して「飼鶏要書」は27章で構成されているからです。 具体的には、例えば種鶏の選抜について、「養鶏方案」では「種卵を得るには最も優秀な雌鶏を選び、雄鶏との混合割合に注意すべき(雌鶏10羽に雄鶏1羽の割合)」とのみの記載(現代語訳)ですが、「飼鶏要書」では雌雄別にその選別の要点が記載されています。雄ではその体形、雛からの成育経過、交尾頻度などを考慮すること、雌では着巣の有無、産卵する卵の大きさ・形や連産生についても考慮することと記載されています。同居させる雌雄の割合についても、「飼鶏要書」では鶏の用途別にその割合が記載されています。肉用種では雄1羽に雌8羽、卵用種では雄1羽に雌12羽、兼用種では雄1羽に雌8羽などです。 餌の内容についても、「養鶏方案」と「飼鶏要書」では異なっています。「飼鶏要書」では、 動物性飼料:糠餌:粒餌:青菜:牡蠣殻=4:3.5:1.8:0.6:0.2「養鶏方案」では、海部氏の記載を落合氏の記載に合わせてみると、 動物性飼料:糠餌:粒餌:青菜=1.6:4.6:2.2:1.6(牡蠣殻については具体的な量の記載なし)「養鶏方案」刊行以降、11年間の間に動物性飼料の割合が増えているのがわかります。

「飼鶏要書」中の名古屋コーチンについての記載

「飼鶏要書」で最も興味を引くのが、「うすけ交趾の来歴と審査基準」です。 「うすけ交趾」とは、「名古屋コーチン」のことです。「うすけ」とは「淡黄色」で、名古屋コーチンの羽毛の色に由来するそうです。また、名古屋コーチンの作出に使われた「地鶏」は、「軍鶏と地鶏の雑種」との記載もありました。